見出し画像

来たるべきコンテンツメーカーのかたち:ヒップホップコンテンツのプロ集団〈Mass Appeal〉に日本のメディアやレーベルが学ぶこと(若林恵)

「新しい音楽の学校 HR Summit 2019」(11月30日開催)に登壇する米国NYのメディア企業「Mass Appeal」。彼らがヒップホップというカルチャーを武器にGoogleやNetflixなどの大企業とビジネスできる理由とは? 若林恵がコンテンツと流通をめぐる情勢からその戦略とコンテンツメーカーの可能性をひも解く。

デモグラなんてないから

2019年の10月にオンラインメディア「VICE」(本人たちは「マルチプラットフォームメディア企業」と自分たちのことを呼んでいた)に買収されたミレニアル女性向けの人気メディア「Refinery 29」のあるスタッフのことばがいまも強く印象に残っている。

「『Refinery29』のウェブサイトのデモグラ(編註:読者層を分析した統計データ)ってどんな感じなんですか?」と、いかにも凡庸、ありきたりな質問をしたところ、返ってきた答えは予想外のものだった。ジョンという名のその相手は、あっさり「デモグラなんてないよ!」と答えたのだ。「えっ?」と、こちら。ジョンは続ける。

「ないというのは正確じゃないな。チャンネルによって変わるということだよ」。どういうことスか? 「Facebookだと20代から30代が中心だけど、インスタグラムだとそれが15歳から25歳になる。チャンネルによって違うからね」。それって、つまるところサイト本体のデモグラは見てないってこと? 「そゆことそゆこと」。なるほど。さらにジョンは続ける。

「読者との接触チャンネルによってデモグラが変わってきちゃうということは、『デモグラを見ながらコンテンツをつくる』ということができないということでもある。それにチャンネルごとにコンテンツをつくり分けていたら、メディアのアイデンティティもぐちゃぐちゃになる。だから、コンテンツをつくる側としては、『自分たちはこれが面白い、これは大事だ』と思うものにフォーカスしてつくるしかない。そして、そのコンテンツを、各チャンネルに最適なかたちでディストリビュートするということになる。コンテンツとディストリビューションは、もはや分離して考えないとダメなんだよ」

この会話は2018年3月のものだったのだが、折しもジョンに会う直前に訪ねたSXSWで似たような議論に遭遇したばかりだった。そこでは「コンテンツとディストリビューションはイコールではない」というお題目が強く明確に語られていた。「Refinery29」のジョンのことばは、まさにその認識を実践し裏付けるものだった。そして、それは自分にとって大きな啓示ともなった。

Refinery29が毎年各地で運営するイベント「Room29」

コンテンツと流通がイコールだった時代

これまでのコンテンツ企業にとって、コンテンツの制作と配信(ディストリビューション)はセットだった。配信チャンネルを自社の管轄下におくか、または流通網が新規参入の難しいハードルの高いものとして設定されることで、配信に対する権限を自らコントロールすることができた。新聞社は販売代理店網を自ら全国に敷き詰め、テレビやラジオは許認可によってコンテンツ配信の権利を独占的に有し、出版業は「取次」と呼ばれる流通業者を通してコンテンツを全国流通する仕組みをつくりあげた。それは中央によって一元的に管理された組織網であるので、その向こう側にいる「お客さん」は一元的な「マス」としてしか認識されない。であればこそ、メディアのデモグラは当然一元化される。コンテンツとディストリビューションがビジネス上ワンセットで不可分の関係となっていたのは、こうしたディストリビューションの形式による。

雑誌であれば、メディアのデモグラは、当然雑誌を買ってくれた人たち、つまりはひとつの販売網の向こう側にいる不特定多数の人びとのデモグラとイコールだ。そのようにメディアと読者の関係性が、「一対一」の対応として設定されるからこそ、コンテンツと読者デモグラは関係しあっているという考えが固定化されることとなる。実際、メディアのデモグラは常にひとつであって、それを複数持ち合わせているメディアというのは、相当に奇異なものとして映るはずだ。ところが、ジョンのことばも、SXSWで語られた「コンテンツとディストリビューションはイコールではない」ということばも、そうした奇異な状態が、すでにして当たり前の前提となっていることを明確に明かしている。

いうまでもなくその劇的な転換をもたらしたのはインターネット、主にはSNSであって、SNSのタイムライン上でしか、もはや読者との接触をはかれないメディア企業やメディアブランドは、その時点で、読者に対するコントロールを失ってしまっている。かつてであればコンテンツ企業は、その音楽コンテンツなり、映像コンテンツなり、雑誌や書籍コンテンツを求めるオーディエンスを、ある現場(レコードショップや映画館や本屋など)へと「動かす」ことができた。主導権は供給サイドにあったわけだが、現在その関係性はきれいに逆転してしまっている。読者は、スマホを片手にしたまま「動かない」。であればこそ、コンテンツ供給者は、それぞれのスマホの画面まで出向いていかなくてはならない。しかも、その画面は熾烈な奪い合いの戦場となっているのだから、すべての読者のスマホに最適化されたかたちで情報は配信されなくてはならない、というわけだ。「デモグラ」という用語は、チャンネルに対する最適化という作業においてのみ戦略的な意味を持つのだ。

米国のHBOで放送されるVICE制作のドキュメンタリーシリーズ

ネタと切り口、すなわち強いコンテンツ

そうしたなか、コンテンツメーカーは、コンテンツの制作とディストリビューションのスキームとを分離して考える方向へと、ますます向かっている。多チャンネル化がデフォルトの環境となり、読者・ユーザー・オーディエンスとの接触面を、プラットフォーマー(SNSや動画プラットフォームや各種ストリーミングサービスなど)に奪われている以上、コンテンツメーカーの戦略は、そこと「いかに戦うか」ではなく、「いかにうまく使うか」という戦略へと移り始めている。そして、アメリカのさまざまなメディア関係者は、それを実践する上で最も重要なことは「強いコンテンツ」をいかに制作し続けられるかだ、と口を揃える。

昨今のコンテンツメーカーは、それがラジオを出自とするメディアであれ、雑誌や新聞を出自とするメディアであれ、もはや露出チャンネルは選ばない。New York Timesのような名門新聞社ですら、インスタからYouTubeからポッドキャストからNetflixのようなSVODチャンネルまで、と、コンテンツの出力先は全方位にまたがる。それもチャネルごとにコンテンツ開発を行うのではなく、ひとつのネタを同時に展開し、とくに評判のよかったものをポッドキャストでシリーズ化したり、SVODプラットフォームやケーブル局と組むかたちで映像ドキュメンタリー化していく手法が取られている。「VICE」のように動画の強いメディアは、ケーブル局に対してデイリーの30分ニュース番組を供給しているほか、Netflixでオリジナルドキュメンタリーの制作を果敢に行っているが、こうした横展開は出会い頭のスピンオフではなく、明確にビジネスモデルに組み込まれている。

多チャンネル横展開前提でのコンテンツ制作は、そうなると音声化しても、映像化しても、さらに言えば90分のドキュメンタリー化しても耐えうるだけのネタ=素材と切り口=コンテクストを探り当てることを意味するようになる。また、プラットフォーム上の競争がシビアであればあるほど、そのネタと切り口は絶対的にユニークなものでなくてはならなくもなる。「強いコンテンツ」とはそういう意味であって、そうした道筋を通って、メディア企業はコンテンツ制作の本道へと立ち返りはじめている。そうしたなか、もはや自社ではウェブサイトも雑誌ももたないまま独自のポジションを築いたコンテンツメーカーすら出てきている。コンテンツ制作とディストリビューションを分離していった、それは必然的な成り行きだ。

Mass Appealが制作したGoogleのDoodle(検索画面のロゴ)と、ヒップホップの歴史を解説する動画

Mass Appealは制作に特化する

「Mass Appeal」(マスアピール)は元々はグラフィティをテーマにした雑誌だったが、現CEOがラッパーのNasとともに出資し、メディアブランドを買い取り、それまでとはビジネスモデルをもってコンテンツメーカーの新しい道筋を指し示す企業となっている。スタッフは40人ほどしかいないが、制作しているものは多岐に渡る。

Netflixのほか、Showtime、HBOからCNNなどに向けて自主企画・制作のコンテンツを供給する。音源制作やアーティストのPVの企画制作などを行う。さらに全方位的なクリエイティブ制作力をクライアントワークにも振り当て、グーグルのDoodleや「Game of Thrones」の舞台裏を追ったドキュメンタリーの制作を引き受けたりもしている。こうした全方位的な活動を支えている「ネタと切り口」はシンプルだ。彼らのコンテンツは、すべて「ヒップホップ・カルチャー」を軸につくられている。

Nasが出資者として入っていることからわかる通り、彼らはそもそもがヒップホップ大好き集団だ。そんな会社であれば、つくりたいコンテンツは当然ヒップホップにまつわるものしかない。彼ら自身がヒップホップオーディエンスであるがゆえに、ヒップホップ好きのオーディエンスに刺さるネタや語り口を知り尽くしている。そのスキルセットとネットワークをもってすれば、ことがヒップホップに関わるのであれば、音源開発からPV制作、プロモーションまで一気通貫で行うこともできれば、ドキュメンタリーの制作、ライブの企画、文化施設のコンサルティングまで、あらゆるコンテンツをつくることができる。当然、そのスキルセットとネットワークを頼みにして、さまざまなクライアントが声をかけてくることにもなる。

ここで重要なのは、彼らが「頼まれればなんでも請け負う制作会社」ではないことだ。彼らはあくまでもコンテンツメーカーであって、自主企画でもって絶えず音源や映像作品を発信している。「Mass Appeal」はあくまでもコンテンツブランドであって、発信主体としてのブランド力と、それ自体がもつオーディエンス訴求力もまた、クライアントに対する格好の「売り物」となっている。「ヒップホップの言語とマナーを用いてリアルなヒップホップファンに何かを届けたかったらMass Appealに頼め」。そうやって声がかかった仕事であれば、たとえクライアントワークであっても、「お金のため」と言い訳をする必要もない。これは彼らがあくまでも「コンテンツメーカー」であるから可能となるビジネスだ。

Mass Appealが制作したNasのライブドキュメンタリー

そろそろコンテンツメーカーの話をしよう

「Mass Appeal」は、アウトプットのチャンネルにはもはやこだわらない。むしろ、彼らは、ネタと切り口に合わせて、自分たちのコンテンツに最適なチャンネルを選びとることができる。SVODなのか、イベントなのか、ライブ配信なのか、ウェブなのか、音楽ストリーミングサービスなのか、コンテンツに見合ったディストリビューションチャンネルを、コンテンツ制作側は選びとることができる。どっちにしろ、プラットフォームサイドは、サービス規模が大きくなればなるだけコンテンツ不足に悩まされることにはなるのだ。クオリティがあって、ユニークな視点=コンテクストをもち、その上、確実に届くオーディエンスのコミュニティをもっているコンテンツメーカーが、そのコンテンツの出し先に困ることはない。

コンテンツディストリビューターとコンテンツメーカーの分離は、ディストリビューションサイドからかかる負荷によってコンテンツを歪められてきた多くの「制作者」にとって朗報となる。コンテンツメーカーはコンテンツをつくり、それをばらまくのがディストリビューションプラットフォームの仕事となっていく。ディストリビューションプラットフォームは、もちろんヒット作も欲しいが、同時に多様性も求められる。そのなかで、ニッチな価値観をもつニッチなオーディエンスを束ねることのできるネタと話法とをもった制作者は新たな活路を見出すことができる。サブスクリプションモデルの広がりのなかで、コンテンツメイキングはふたたびビジネスとして持続可能なものとなりうるかもしれない。

これまで、わたしたちはコンテンツディストリビューターの話ばかりに気を取られすぎていたのかもしれない。ようやくコンテンツメーカーの話をポジティブにできる環境が整いつつある。Mass Appealは、そんななか新しい希望を見せてくれている。

文:若林恵

【Mass Appealから大型の資金調達などを手がけてきた副社長(ストラテジー、オペレーション担当)が来日・登壇する「新しい音楽の学校 HR Summit 2019」(11月30日開催)。チケット申し込みは下記から】